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高田藩榊原家

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月27日更新

 榊原家は、伊勢一志郡榊原村(三重県)にあったので榊原を姓とし、初代康政は徳川家康の近侍となり、武勇と知略に優れ、徳川四天王と称され、その後家康から館林(群馬県)10万石を与えられ、館林藩榊原家が生まれました。
 3代忠次の代に白河(福島県)を経て姫路に移り、石高も15万石となりました。5代政倫(まさとも)は村上(新潟県)に転封となり、6代政邦は再び姫路に移りましたが、8代政岑が家督を継ぐと間もなく幕府から隠居を命じられ、高田に蟄居(ちっきょ)(注)すること9か月で没しました。
 榊原家9代の政永(まさなが)が寛保元年(1741年)11月、姫路から高田へ所替えになりました。
 榊原家の統治は明治維新まで、政永・政敦(まさあつ)・政令(まさのり)・政養(まさきよ)・政恒(まさつね)・政敬(まさたか)の6代約130年に及び、石高は15万石でありましたが、城付きの所領は頸城郡に6万5千5百余石、残りの8万4千6百余石については、奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれた白河盆地の白川・石川・田村及び岩瀬郡の4郡(福島県)にわたって散在していました。藩は、浅川(福島県石川郡浅川町)に陣屋を設けて奥州の領分を支配しましたが、姫路時代に比べ、苦しい財政事情となりました。

(注)蟄居:武士に科した刑で、一室にとじ込め謹慎させること