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19 霊山

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印刷用ページを表示する 掲載日:2025年11月1日更新

はじめに

 日本では、原始時代から山岳が信仰の対象となっており、仏教や神道などの中にもその要素を見ることができます。山岳はその形や畏れから神秘を感じさせたり、水をもたらし農耕を守るものとして崇められたり、祖霊の住む他界、邪心邪霊の住む霊地などと恐れられる存在でもありました。

 こうした山岳で修業し霊力を持つとされた修験者により、日本古来の山岳信仰が仏教・神道などと習合し、「修験道」という一つの宗教体系が作られました。平安時代末期から、吉野の金峯山や熊野が修行の拠点となり、室町時代には、熊野側で聖護院を本山とする本山派と、吉野側で大和を中心とする当山派の二大修験集団が形成されます。このほか、羽黒山(出羽三山)、英彦山、白山など、地方の霊山でも山林修行が行われました。

 近世になると、修行の場とされていた山岳に庶民も登るようになり、従来の修験の山以外にも木曽の御嶽や富士山などへの信仰登山が盛んに行われるようになりました。

主な霊山の分析

主な霊山の分布図(画像)

出所 国土地理院数値地図および宮家準「霊山と日本人」をもとに作成

このエリアにはどんな特徴があるの?

古くから知られた霊山

  • 戸隠山は、平安末期に富士山とならぶ地方の霊山として全国的に知られる。鎌倉時代には、高野山、比叡山に匹敵する一大霊場であったといわれる。

  • 戸隠山は、近隣の飯縄山との関係も深く、妙高山修験への影響も見られる。

  • 県境にある苗場山や巻機山なども、修験霊山として知られる存在である。

主な霊山の分布 信越県境エリア

信越県境エリアの主な霊山の分布図(画像)

凡例 主な霊山

  1. 米山
  2. 八海山
  3. 巻機山
  4. 妙高山
  5. 小菅山
  6. 苗場山
  7. 斑尾山
  8. 黒姫山
  9. 高妻山
  10. 高社山
  11. 戸隠山
  12. 飯縄山
  13. 皆神山

備考 下記文献に掲載されている主な霊山を掲載
出所 国土地理院数値地図、宮家準「修験道辞典」「霊山と日本人」、地方史研究協議会「信越国境の歴史像」をもとに上越教育大学橋本准教授作成(上越教育大学出版会発行「越境アプローチによる地域学習のすゝめ」より抜粋)

様々な信仰の影響を受けた霊山

  • 熊野・金峯山信仰は、熊野と金峯山を結ぶ大峰連山を中央の修験道場として平安期に確立。北陸方面から妙高山に達した後、上越市の東部山麓を通り北上したとされる。

  • 白山信仰の拠点である白山は、役小角と並んで修験道の祖とされる泰澄により、地方霊山として最も早期に開発される。その後日本海側を北上し、一部が越後から信濃、関東へ、一部が美濃から東海道沿いに進出した。

  • 平安末期に能生白山社(糸魚川市)が造られ、鎌倉末期頃に妙高山、その後戸隠山に定着したとされる。能生白山権現を竜の尾、関山三社権現を竜の胴、戸隠を竜の頭とする九頭竜権現は、一連の白山信仰とされる。

  • 米山や斑尾山にも白山信仰の伝播がうかがえる。

  • 羽黒・湯殿修験は、出羽三山を拠点とし、江戸までの羽州・奥州道沿いのほか、越後・佐渡にも一定程度広まった。

  • 木食行者は、戦国時代の戦乱で山岳信仰が衰退する中、中部地方の霊山を広く民衆に開放したとされる。その後の富士講、御嶽講といった庶民による登拝の動きにもつながった。
     (木喰上人が作成した木喰仏は、全国約630体のうち83体が柏崎市にあり、国内最多とされる。)

  • 木曽御嶽講は、濃尾平野をはじめ関西地方や中山道沿いにも多いが、上越地域にも若干広まる。八海山(南魚沼市)は、古来より大日如来や作神を祀り、修験道所として知られていたが、その後は御嶽講系統の霊山として栄えた。

その特徴が生まれたのはなぜ?その特徴から生まれたものは何?

霊山の因果関係図 [画像ファイル/267KB]

険しい地形

  • 隆起や褶曲などの地殻変動によって造られた高く険しい山岳地帯が幾重にも連なっており、修験道をはじめとした修行の場として適地であった。
  • 一方、険しい高山でありすぎるが故に、開発の時期が遅れたとの見方もある。

(関連ページ)01「地形」

主要な交通網の存在

  • 近畿地方から見ると東の端に当たる地域であることから、霊山の開発時期は近畿地方より遅れたとの見方もある。
  • 白山信仰は交通の便が良い日本海沿いのほか、能生から火打、妙高、戸隠へと尾根沿いに伝わった形跡もある。
  • 東西方面から様々な信仰が伝播したが、それらの限界付近に位置しており、結果的に様々な信仰が複雑に入り込んでいる。

(関連ページ)05「交通」

為政者の影響

  • 例えば、飯縄信仰は兵法との関連が深く、武田信玄・上杉謙信などの武将の信仰が篤かったとされる。
  • 戸隠神社は、川中島の合戦により破壊され、移転を余儀なくされたが、その後上杉景勝により再興される。江戸時代には将軍家から手厚い保護を受ける。

他の宗教との関係性

  • 白山信仰は、糸魚川市能生から南進し、霊山である妙高山、戸隠山へと尾根沿いに伝わった。
  • 八海山などの山岳信仰の存在もあり、魚沼地域には本山派の修験社寺が数多く残る。

(関連ページ)18「寺社」

受入れやすい信仰の性質

  • 白山信仰は、地元神と異質ではなく、神仏が混ざり合った高度な信仰であったことから、受容されやすく広まったとされる。一方、それが故に主体的な特色は失われていったとされる。

周辺霊場との組み合わせ

  • 戸隠信仰は、善光寺信仰飯縄信仰とともに流布されることによって、信仰者の増加に相乗効果を発揮したとされる。

交流人口の拡大

  • 山岳を信仰対象とする参拝客のみならず、パワースポットや登山などを好む人々が訪れる。

特産品の販売促進

  • 全国から信者が訪れ、戸隠そばなどの特産品が全国に知られるようになった。

(関連ページ)07「そば」

これまでとこれからについて考えよう!

 社会の変化は、地域資源に様々な影響を与えています。担い手不足や環境変化といった課題に直面する一方で、新しい技術との融合や、これまでの価値を見直すことで、新たな可能性が生まれることもあります。

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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