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14 繊維

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印刷用ページを表示する 掲載日:2025年11月1日更新

はじめに

 衣服は人間生活に必要不可欠なものであり、古くから麻、藁、絹、綿などの植物が用いられてきました。麻や絹は主に東日本、綿は西日本を中心に作られるなど地域性もありました。明治時代には、絹の生糸が日本最大の輸出品目となり、世界一の輸出量を誇った時期もありました。

 その後、合成繊維や外国産の安価な製品が主流になる中で、生産量は減少していますが、国の文化財や伝統的工芸品などに指定された織物も数多くあります。また、国内の繊維業全体では衣料向けが減少し、自動車や航空機などの産業資材、おむつやカーペットなどの衛生・生活資材向けの割合が増加しています。

繭の生産量の推移(全国)

1900年から2020年の全国繭の生産量の推移の折れ線グラフ(画像)

出所 農林水産省「繭生産統計」「蚕業に関する調査」、一般社団法人大日本蚕糸会ホームページをもとに作成

織物業の事業所数と出荷額の推移(全国)

全国の織物業の事業所数の棒グラフと出荷額の推移の折れ線グラフ(画像)

備考 調査対象は従業者4人以上の事業所
出所 経済産業省「工業統計調査」「経済センサス」をもとに作成

国指定伝統的工芸品(織物)の分布

国指定伝統的工芸品(織物)の分布図(画像)

備考 2023年10月現在
出所 経済産業省「伝統的工芸品の指定品目一覧」をもとに作成

このエリアにはどんな特徴があるの?

縄文時代から受け継ぐ織物の歴史

  • 縄文時代の衣料の主流であり、カラムシ(苧麻)の繊維を原料とするアンギン。国内でその製作方法が現在まで伝承されているのは、十日町・津南を中心とする魚沼地域のみといわれる。

  • 正倉院には上越地域の庸布が収蔵される。中世には越後の生産量が日本一の時期もあった。

  • 中世・近世に発達した越後上布は、2009年に小千谷縮とともにユネスコの無形文化遺産に登録(2023年現在、日本からの登録件数は22件)。

現代に続く織物業の歴史(魚沼)

  • カラムシを素材として近世を中心に生産された越後縮は、薩摩上布に次ぐ高級夏織物とされる。その用具や関連資料は国指定有形民俗文化財。

  • 塩沢紬、本塩沢、小千谷縮、小千谷紬、十日町絣、十日町明石ちぢみは、国指定の伝統的工芸品(2023年現在、全国の指定織物は38品)。

  • 十日町市の絹織物生産高は、ピーク時に比べて大幅に減少はしたが、西陣・丹後に次ぐ日本有数の歴史的機業地といわれる。

繊維関係の主な生産地 信越県境エリア

信越県境エリアの繊維関係の主な生産地図(画像)織物業(小千谷、十日町、塩沢)、細幅織物業(上越)、蚕糸業(中野、小布施、須坂、松代(長野))
凡例

  • 凡例(画像)地図内の赤い字で示された地名 織物業
  • 凡例(画像)地図内の青い字で示された地名 細幅織物業
  • 凡例(画像)地図内の紫字で示された地名 蚕糸業

備考 「小千谷」は信越県境エリア外ではあるが、十日町や塩沢との類似性や関係性を考慮して記載した。
出所 国土地理院数値地図および経済産業省「伝統的工芸品の指定品目一覧」をもとに上越教育大学橋本准教授作成(上越教育大学出版会発行「越境アプローチによる地域学習のすゝめ」より抜粋)

蚕糸業が発達した歴史(長野)

  • 蚕糸業とは、蚕種製造・養蚕・製糸で構成される産業の総称である。長野県は明治時代に「蚕糸王国」と称される。県内では岡谷、上田などでの生産が際立つものの、信越県境エリア内の小布施、須坂、松代などでも生産は行われていた。
  • 1873年に操業を開始した中野製糸場は、群馬県の富岡、福島県の二本松と並んで日本三大製糸場と称された。ただし、岡谷、上田に比べると早期に衰退した。

  • 須坂市には1887年頃に100を超える製糸場が立地。「製糸王」と評される越寿三郎を輩出した。

細幅織物業が発達した歴史(上越)

  • 上越市高田はバテンレースの国内唯一の産地である(福井、静岡などの産地は戦前に消滅)。
  • バテンレースの原料である細幅織物は、かつて国内生産額の65%を占めていたとされる。

備考 バテンレースとは、ブレード(細幅織物)と呼ばれる糸で編んだテープで図柄の輪郭を縁取り、その内側にかがり縫いで模様を施したもの。

その特徴が生まれたのはなぜ?その特徴から生まれたものは何?

繊維の因果関係図 [画像ファイル/344KB]

生産に有利な雪国の気候

  • 新潟県で発展した麻織物の原料である苧麻は、生育期に多量の雨を必要とし、湿度が高く強風の少ない寒冷地を好む。

  • 雪国の冬期間は高い湿度が安定的に続くことから、糸の紡ぎや織りなどの工程において、糸を切れるのを防ぐほか、雪に晒すことで漂白効果も得られる。

(関連ページ)02「気候」

稲作以外の仕事の必要性

  • 長野県には河川敷や傾斜地など稲作等に向かない土地が多いものの、養蚕に必要な桑の葉はそのような土地でも栽培可能であった。
  • 新潟県をはじめとする豪雪地帯では、農閑期の仕事が求められた。

(関連ページ)06「米」

為政者の動向

  • 戦国時代の上杉家は、麻栽培と越後上布の生産を奨励。京都への輸出を行うなど、貴重な収入の一つとなった。
  • 上杉家の会津移封に伴い、江戸時代に麻栽培は衰退、その後生産が盛んになった会津からの仕入れを行いつつ、絹織物へ転換する契機となった。
  • 江戸時代の信州各藩は、養蚕を奨励した。

伝統と革新の連続性

  • 麻栽培や麻織物が衰退した後も、絹織物への転換、家内工業から工場制、手工業から機械化、季節生産から通年生産、織りから染めへの転換など、これまで培ってきた技術を活かしながら、新たな技術を習得し、産業としての継続を図っている。

生産を支えた人材の気質

  • 織物づくりは根気のいる作業であり、雪国ならではの人々の根気強さが支えたといわれる。
  • 須坂市内の製糸工場で生産に携わった女工は、新潟県からの出稼ぎが多かったとされる。

他の工業への転換・発展

  • 例えばかつて細幅織物を生産していた上越市内の企業は、その技術を活かしてフィルム生産などへと転換し、その後一部上場企業として成長した。
  • 須坂市などで発展した蚕糸業は、水力発電の開発への投資の原動力となり、その電力によって誕生した上越市内の肥料製造会社は、現在世界有数の化学メーカーとして成長している。

(関連ページ)04「エネルギー」

果樹園や工場地としての利用

  • 基幹産業ともいえる養蚕業が昭和の世界恐慌などにより衰退した後、桑畑はりんご、もも、ぶどう、栗などの果樹園に転換した。
  • 同じく製糸工場の広大な跡地には、大手精密機械工業の工場や大型ショッピングセンターなどが誘致されている。

(関連ページ)10「果物」

特徴的な街並みの形成

  • 須坂市には、製糸業などで栄えた時代の蔵が数多く残されている。明治初期で3,000人の人口が、昭和初期には2万人超となり、急速に都市化が進んだため、巨大迷路の街ともいわれる。

その他、昭和初期の満州開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍に対し、長野県は全国最多の人数を送り出しているが、この一因には蚕糸業衰退もあったとされる。

これまでとこれからについて考えよう!

 社会の変化は、地域資源に様々な影響を与えています。担い手不足や環境変化といった課題に直面する一方で、新しい技術との融合や、これまでの価値を見直すことで、新たな可能性が生まれることもあります。

 社会の変化が地域資源にもたらすものや地域資源が今後直面する課題、あるいは地域資源が秘める新たな可能性などを考えてみましょう。

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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