浄興寺の本堂
浄興寺は、親鸞聖人が越後国から常陸国笠間郡稲田(現在の茨城県笠間市)に移り、草庵を開いたことに始まります。
親鸞聖人は元仁元年(1224年)に浄土真宗の経典「教行信証」(きょうぎょうしんしょう)を完成させ、その草庵を「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」(かんぎゆやくさんじょうどしんしゅうこうぎょうじ)と名付け喜びを表したと言われています。浄興寺はその略称です。
その後、寺地は各地を転々としますが、越後へ移ってきたのは天正年間(1573~92年)、上杉氏の招きによるものと伝えられています。現在地へは寛文5年(1665年)の大地震後に建立されました。
再建年月日は明らかではないですが、当寺所有の「延宝6年浄興寺より寺社奉行宛提出せる覚及び目録一巻」によると、延宝6年(1679年)には再建を目的とした歓進(かんじん(寺社などを建立するための寄付を募ること))が江戸において寺社奉行承認のもとに行われたことが記されています。
また、内陣背面の板壁に「延宝7年」の墨書が残されていることから、延宝年間(1673~81年)の再建と考えられています。
本堂は間口が28メートル、正面に3間の向拝(ごはい(本殿の前方に張り出した屋根))を付けた一重、入母屋造り(いりもやづくり)で、県内の寺院建築では最大の規模であり、最古の真宗本堂です。
身舎(もや)部の柱はすべて円柱で、いたるところに絵様の入った虹梁(こうりょう)や彫刻が施された蟇股(かえるまた)などを多く用いるなど江戸時代前期の建築物としては先駆的な意匠・形式で構成されています。
こうした特徴は、全国の真宗本堂の遺例の中でもとりわけ注目され、浄興寺が東・西本願寺(京都)と並ぶ格式高い寺であったことを示しています。
意匠がすぐれ、格式高い真宗仏堂の特徴をよく示しており価値が高いです。また、雪国の風土によくとけこんでおり、豊富な地方色が見られます。
境内には上越市の文化財に指定されている、親鸞聖人の頂骨が納められている祖廟があります。
その他の浄興寺に関連する文化財
(県指定文化財)
(市指定文化財)
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